ネタバレ注意!【すずめの戸締まり】 これまでとこれからについて考えさせられる物語

ネタバレを含みます。
鑑賞前の方は、注意してください!

昨日「すずめの戸締まり」を見てきました。
新海誠監督のアニメは、「君の名は」で知り
それ以前の作品もすべてではありませんが見てきました。

もうすでにほかのライターさん達が質のいい考察や感想を書いているので
自分は思ったことをつらつらと書いていきます。

まず、やはりかなりセンシティブな内容でした。
震災をテーマにしており、たくさんの人が犠牲になってそれを悲しんだ人がたくさんいた事実に
真っ向から真摯に向き合っていると感じました。

事前に地震緊急地震速報の描写があることについて言及されたツイートがニュースになったりしましたね。

映画を見た特典に「新海誠本」がわたされて、じっくり読んだのですが
監督の今回の映画にかける思いがまっすぐに伝わってきました。

「君の名は」のときでも
「天気の子」のときでも

できなかったいまだからできることがある。


そんな今だからこそ出せる新海監督の思いが非常に伝わってきた作品でした。

私自身完全に主観なのですが、「君の名は」が一番好きで、「天気の子」は、なんとなく二番煎じの感じがして今回の作品にはいまいち期待をしていなかったです。


ただ、そんな期待を軽く飛び越えて来てくれた感じが妙にうれしかったというか
何度も、公開中に何度もということではなく、自分がもっと大人になった時にどう感じるか
再確認するタイミングで、もう一度見てみたいなと思う作品でした。

東日本大震災から10年以上たった今、あの時のことを振り返ると
あんなに衝撃的な出来事だったのにもかかわらずそれからなんとなく10年を生きてきてしまったなと思ってしまう。

「大切な仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」

というセリフを草太がいうシーンがあるのですが、大学生の男の子からの発言とは思えない
心に響いたセリフでした。


新海誠本でも取り上げられていて、インフラを管理してくれている人々や新型コロナウイルスと戦ってくれている医療従事者の方はもちろん
自分のような大した意味はないと思える仕事でも陰ながら誰かの役に立っているのかもしれないと思えるそんな暖かい言葉だなと感じました。

明日から月曜日だけどがんばろう。


新海誠監督作品に限らず、古典作品に由来がありそうな物語が妙に好きな私なのですが、
今回も「後ろ戸」とか「要石」とか「常世」とかわくわくする言葉がたくさん出てきました。

鈴芽という名前も、古事記に登場するアメノウズメからとってきているようです。
アメノウズメは、アマテラスが岩戸に隠れてしまって世界が暗闇に包まれた際に
踊りでアマテラスの興味を引き、アマテラスが身を乗り出したところを岩戸の影に隠れていたアメノタヂカラオ
引っ張り出しという逸話で有名な神様です。
踊りが得意な神様であることから芸能活動の成功にご利益があるそうです。

今作の鈴芽のように、困難があっても解決していこうとする明るい人柄(神柄?)が
なんとなく通じる部分があるなと思いました。

他にも「要石」が実際にある神社が、千葉県にある
香取神宮鹿島神宮みたいです。
君の名はの時も、ラストシーンで三葉と瀧君が再開したシーンの階段に行ってしまうほどミーハーな私ですが
この神社にも是非行ってみたい!
また神社に行けたら記事にしようと思います。

今回はミミズでしたが、実際に要石で封印しているのは大鯰だそうです。
ただ今作は、鈴芽(雀)が主人公なこともあってミミズにしたんですかね。
鳥さんがよくミミズを食べるから。ナマズは食べれないですもんね。

こういう古事記とか神話ってすごく惹かれるのですが、なぜなんでしょう。
実際総理大臣や大企業の社長は、一世一代の決断をする際は神職の方の意見を伺うそう。
昔も権力者と同じくらい発言力があった神職の人には何か不思議な力があるのではないかと思っています。

あと、三本足の椅子について劇中でも新海誠本でも触れられてなかったので、
個人的に考えてみたのですが、神武東征がモデルではないかと思うのです。

神武東征は、神武天皇(最初の天皇)が日向(現在の宮崎県に属する令制国)から出発して
奈良盆地周辺を統治していたナガスネヒコを滅ぼし、はじめて天皇になったという話。
その神武天皇の道案内をしたのが、三本足のヤタガラスだったそうです。

今回の鈴芽も、草太が三本足の椅子になってしまったことで草太の力を借りながら
宮崎県から東に向かっていくといくストーリーなんともマッチするなと思ってしまいました。

で、なぜ椅子が三本足なのかというのも、ヤタガラスが三本足の理由に隠されているのではないかと調べてみたのですが
天(天神)
地(自然)

が同じ太陽から生まれた兄弟であることを示しているそうです。

これも今回のストーリーのコンセプトとなんともマッチする理由ですね。
要石が猫の姿になって、ダイジン(大神)となずけられるように、
今作には神についても多く触れられた物語でした。
人と神と自然が調和することを表すように
自然の荘厳さ、無慈悲さ、暖かさを思い出すように
椅子が三本足で描かれたのかなと考えてしまいました。

三本足って絶対安定するはずないのに、
グラグラするシーンがあまり描かれていないのも
(鈴芽がすわったり、登ったりしても大丈夫なくらい)
この時に厳しい神様と自然とうまく調和して生きていきたいという監督の意思が伝わってきました。

他にも書きたいことがたくさんあるのですが、
まだ見ていない方に不快な思いをさせることがないようにひっそりと心の中で感傷に浸りたいと思います。
それでは。